tadasumi’s blog

一変する出来事が自分に降りかかって

ちょっと "群馬を振り返ってみる" 富岡製糸場 編 !!

皆さんこんにちは ❗

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明治5年(1872年)に創業した、日本初の官営模範製糸場。明治政府の掲げた政策「殖産興業」の一翼を担うべく誕生したもので、ヨーロッパの器械製糸と建築技術を導入した、世界最大規模の製糸工場です 👍

現在は、近代日本を象徴する建造物として、場内にある設立当初に建設された主要な建造物は、国宝や国指定重要文化財となっています 👍

2014年6月には世界文化遺産に登録されました 👍

(富岡製糸場 公式ホームページ引用)

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1号(れんが積み)、2号(大谷石積み)、3号(土壁)の3棟の倉庫と、乾燥場(木造)の4つの建造物から構成されています ⛪⛪⛪

この内1号 (れんが積み) を世界遺産富岡製糸場と絹産業遺産群」のガイダンス施設として使われています ⛪⛪⛪

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解説員がガイドしてくれます 👍
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和洋技術を混交した工場建築の代表であり、長さ100mを超える木骨煉瓦造の2棟の置繭所や繰糸所など、主要な施設が創業当時のまま、ほぼ完全に残されています ⛪⛪⛪
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富岡製糸場設立の目的とその背景
江戸時代末期、鎖国政策を変えた日本は外国と貿易を始めました 🚢

 

「その当時最大の輸出品は生糸」でした 🐛

 

生糸の輸出が急増した事により需要が高まった結果、質の悪い生糸が大量に作られる粗製濫造問題がおきました。諸外国から生糸の品質改善の要求、外国資本による製糸工場の建設の要望が出されました 😱

明治維新後、富国強兵を目指した政府は、外貨獲得のため、生糸の品質改善・生産向上を急ぎます 😱

しかし当時の民間資本による工場建設は困難な状況であったため、洋式の繰糸器械を備えた官営の模範工場をつくることを決めました 👍


模範工場の基本的な考え方は主に3つ

1つ目は洋式の製糸技術を導入すること

2つ目は外国人を指導者とすること

3つ目は全国から工女を募集し、伝習を終えた工女は出身地へ戻り、器械製糸の指導者とすること
 

こうした考え方をもとに雇い入れられたフランス人、ポール・ブリュナの指導のもと、西洋の技術を取り入れた官営模範器械製糸場(富岡製糸場)が設立されました 👍

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国宝「西置繭所」には、歴史的資料の実物を常設展示するギャラリーなどがあります 👍
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民営化後も一貫して製糸を行い、製糸技術開発の最先端として国内養蚕・製糸業を世界一の水準に牽引しました。また "田島家" ・ "高山社" ・ "荒船風穴" などと連携して、「蚕の優良品種の開発と普及」を主導しました 👍
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設立の地に富岡が選ばれた理由

富岡製糸場の設立計画を担当した政府の役人の一人、尾高惇忠とポール・ブリュナらが武蔵・上野・信濃の地域 を調査し、次の理由により上野(こうずけ)の富岡に場所を決定しました。

1.富岡付近は養蚕が盛んで、生糸の原料である良質な繭が確保できること
2.工場建設に必要な広い土地が用意できること
3.製糸に必要な水が既存の用水を使って確保できること
4.蒸気機関の燃料である石炭が近くの高崎・吉井で採れること
5.外国人指導の工場建設に対して地元の人たちの同意が得られたこと

(富岡製糸場 公式ホームページ引用)

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富岡製糸場の変遷
富岡製糸場は、国が建てた大規模な器械製糸工場で、長さが約140mある繰糸所には300釜の繰糸器が並び当時の製糸工場としては世界最大規模でした 👍
富岡製糸場の建設はフランス人指導者ポール・ブリュナの計画書をもとに明治4年1871年)から始まり、翌年の明治5年(1872年)7月に主な建造物が完成、10月4日には操業が開始されました 🏭

繭から生糸を取る繰糸所では、日本全国から集められた伝習工女たちが働き、本格的な器械製糸が始まりました (^-^)/         (富岡製糸場 公式ホームページ引用)
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荒船風穴の写真が見つからず載せられない  (^_^;)

変わりに荒船風穴の近所に、面白そうなお店があったので、こちらの写真で ........  m(__)m
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近代日本の礎を、群馬も一翼を担っていたことを感じとることが出来た富岡製糸場の観光でした (^-^)/

 

最後までご一読有り難うございます  m(__)m

 

 

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