tadasumi’s blog

一変する出来事が自分に降りかかって

1泊2日で "高崎市周辺観光" 2日目 後編 !!

皆さんこんにちは❗


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前回ブログでは1泊2日で "高崎市周辺観光" 2日目 中編 !! としてひびき橋・うどん屋 まさか・レストランShangoまでを紹介しました 🚗

 

tadasumi.hatenablog.com

 

次回ブログでは1泊2日で "高崎市周辺観光" 2日目 後編 !! として洞窟観音・進雄神社から帰宅までを紹介したいと思います 🚗

 

【洞窟観音】
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観音山エリアMap 🗾
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❋ 真中の写真は奉納処 🕯️

❋ 下の写真は洞窟観音入口『旧改札小屋』

昭和11年から昭和55年まで利用されていた洞窟観音の改札小屋です。 山田徳蔵はタイルが好きで、洞窟観音の入口天井の天女や、徳明園内邸宅の風呂場などに贅沢にタイルを使用しました。こ のタイルは九谷焼です。

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入園券売場 🪪
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洞窟観音入口 🕯️
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❋ 洞窟建設当時のようす

景色の良さに心をひかれて観音山を選んだが、大木がおいしげり、手のつけようがなかったうえ、毎日毎日人夫を集めるのにひと苦労。ツルハシでひとつひとつの石を掘っては下の谷まで運ぶのがまた大変だった。工事を始めて三年目の冬でしたが、雪の日が幾日か続き人夫が一人もこない為、夫婦二人で掘り続けたこともあった ⛏️

❋ 洞窟について

洞窟は総延長400メートル、洞窟内には群馬県名産の三波石と当時「信越線で毎日運ばれた」と云われる浅間の溶岩がふんだんに使用されております。

ここには自然鍾乳洞があったのではなく、何もない山肌をツルハシと人力のみで掘削しました。この山の地盤は板鼻層と云われ、大変強固な地盤で掘削時には大変な苦労でツルハシはすぐに削れてだめになり、毎朝洞窟入口横の作業待機所 (現在の奉納処)でつるはしを研いでから作業にに入ったとのこと、徳蔵自身はこの倍の長さの洞窟の建設を構想しておりましたが、徳蔵が没するとともに工事も終結し、人夫の作業用出入り口がそのまま現在の出口として使用されることとなりました。

❋ 機械室跡

洞窟観音創設者『山田徳蔵』は戦時中、自身のすべてを注ぎ込み自力建設したこの施設を、高崎市民四千人を匿える防空壕として、当時の陸軍に無償で差し出しまし、これにより「模範的民間防空壕」の称号を賜り、戦時中も軍から鋼材やセメントの配給を受け洞窟の建設工事が進められました。

当時の防空壕設備の一部の機械室です、カンテラや発電機、 発動機等が置かれました。

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❋ 観音像について

洞窟観音の観音像を彫像した のは、新潟県魚沼出身の高橋楽石、楽山の二人です。

観音像はある程度洞窟が掘り進んでから、吟味した上質の御影石のみを使用し、徳蔵が新潟から楽山を招いて観音像を彫らせ、洞窟内に設置していきました。入口から奥へ向かって楽山が作品を積み重ねる毎に、像の表情に深みが出ております。

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❋ 十一面観音 (じゅういちめんかんのん)

奈良時代から信仰を集め、病気治癒などの現世利益をはじめ、万能の御利益を祈願して多く祀られた「千手観音」と並んて観世音菩薩の変化身の中ては特に人気が高く、当時中国て盛んに信仰され日本ても数多く造像された観音です。

❋ 千手観音 (せんじゅかんのん)

正式名称を「千手千眼観世音菩薩」その名の通り千本の手を持ち、それぞれの手のひらに眼がある観音です。十一面観音のさらなる進化形とも考えられ頭の上に十一面あり、人々の願いを見逃さぬよう千本の手に眼がついている御利益万能の観音です。

圓光観音 (えんこうかんのん)

光中に色身を現わし、合掌して岩上に坐しています。頭の後ろから丸く輝く光明(圓光)の繊細な細工や、観音が纏う流麗な衣は、素材が石とは思えぬ見事な完成度を誇り、遠近法を意識し光が放たれるが如く作品全体のバランスが見どころの傑作です。この観音に念ずると、相手の刀が折れて危害が免れるといわれています。f:id:tadasumi:20240612210605j:image

❋ 上の写真は深山幽谷観音浄土庭園

向かって右から多羅尊観音瑠璃観音 • 集衣観音(上段滝の右) • 六時観音(下段一番前) • 馬郎婦観音(上段滝の左) • 普悲観音 • 蛤観音

中央奥の石瀑布を中心に、夥しい量の浅間山の溶岩と赤石、三波石の巨石が内部の装飾用に運ばれ、深山幽谷観音浄土庭園が枯山水手法により表現されております。 楽天山徳明園と名付けられ、この地が徳と楽に溢れた天国の様に明るい山であるとの思いが込めらてます。

❋ 第三ホール

第三ホールは、現在安全上の理由により通常拝観頂けません。ホールの規模は圧倒的であり手前の第二ホールとは奥の通路て繋がっており、人の力だけでこの驚くべき空間が建造された事に、訪れた方々は言葉を失うことでしょう。膨大な量の巨石銘石と浅間の溶岩が運び込まれ繊細な造形技術によって具現化された深山幽谷に、名工楽山による渾身の作品群が各所に配されました。徳蔵の故郷に実存する「善根の不動滝」の景色が隣接の徳明園の石庭にまで繋がるようデザインされております。f:id:tadasumi:20240612210740j:image

❋ 馬頭觀音

動物達の守護仏であり、怒りの形相で悪を粉砕する観音菩薩ヒンドゥー教最高神・ビシュヌが馬の頭に変化して敵を倒したとする神話が起源とされ、他の観音様が女性的な美しい表情であることが多いが、馬頭観音は怒りの憤怒の形相で表され、馬頭明王と呼ばれることもある。怒りの激しさによって苦悩や諸悪を粉砕し、馬が草を食べるように煩悩を食べ尽くし災難を取り除くとされます。六観音の一つに数えられ、畜生道に迷う人々を救済し、また、家畜の安全と健康を祈ったり、旅の道中を守る観音様として信仰され、道端に石の馬頭観音象が置かれたりもしました。昔は馬は武家も農民も生活の一部であり、馬を供養する仏としても信仰されました。

聖観音

洞窟観音最後にご参拝頂く観音です。等身大のこの作品だけは他の作品群とは制作年代が大きく異なり、創設者徳蔵が没する三年程前に完成しました。徳蔵にとっては勿論、晩年を迎える楽山にとっても、彼の石彫人生の集 大成となる渾身の最高傑作となります。静かに佇む楽山聖観音像には光背がなく左手に蓮華を持つ変化型で、その他は通常の宝髻を結い、上半身は裸形のデザインが採用されています。聖観音六観音の一つ。正しくは聖観世音菩薩または聖観自在菩薩。単に観音といえばこの菩薩をさします。

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本当は800m掘りたかった !!

洞窟観音は、高崎市の観音山丘陵に位置しています。地質学的には、五百万年以上前の「新第3紀中新統の板鼻層上部層」にあたります。主に味層を主体とし、少岩層泥岩層等を狭有する『強固な地層です。これらの体積層は海退に伴って堆積したデルタ堆積物であると考えられています。

現在は、立入制限区域を含めた延長が400mの洞窟ですが、当初は倍の800mが目標でした。強固な地層が構造物として安全になると考えこの地を選びましたが、毎日、ツルハシの先が丸く削れて使えなくなる程の固い地盤に、掘削作業は困難を極め、徳蔵の命が尽きると共に、目標の半分のこの場所で、作業が中断したのです。f:id:tadasumi:20240612210712j:image

物資庫跡

防空壕として使用する際に必要な物資を備蓄できる倉庫として追加建設された部屋です。向かって左奥には出入り口がもう一つあり、外から物が直接運び込めるようになっています。部屋の奥には深さ直径1.6m深さ約10mの大きな井戸があり、調査したところ湧き水ではなく水を運び溜めて使用する“溜め井戸”であったようです。f:id:tadasumi:20240612210953j:image

洞窟観音出口🕯️

人夫の作業用出入り口がそのまま現在の出口として使用されています。

 

【山徳記念館】
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山徳記念館 🎄
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遊歩道 👫
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庭園 🏞️
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山田徳蔵の邸宅 🏡
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「吉は逆に成りけり 仏笑わず鬼笑う」

滝見観音を右手に拝観し三途の川を渡り短い洞窟を渡り短い洞窟を抜けると「笑い鬼と笑い闇魔」に会う事ができます。洞窟を堺に、手前が観音の居られる極楽の世界、洞窟を潜り抜けると闇魔と鬼の地獄の世界が表現されています。仏の世界と閻魔の世界では「めでたさや喜び」は逆となります。

観音信仰に厚かった洞窟観音創設者「山田徳蔵」の戒めの言葉です。

瀧見観音

この観音像は楽山のごく初期の作品であり、三頭身のどこか愛嬌を感じる作風となっています。

徳明園はこの観音を中心に「浄土庭園」樣式として作庭されました。俗塵の及ばぬ深山幽谷の岩上に静かに立ち観音滝と浅間の溶岩以て見事に作り上げられた壮大な作品となっております。流れる渓谷は現世の「三途の川」その先の岩窟を潜ると地獄世界となります。

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❋ 徳明園奉納赤石

徳明園にある石は、主に群馬県鬼石町三波川から下仁田にかけて産出された三波石です。当時地元では山徳に石を持っていけば全部買ってくれるとの噂が流れ、毎日沢山の石が勝手に持ち込まれたそうですが、それらすべてを徳蔵が本当に購入してしまったとの逸話が残っております。園内随所に見られる赤石は、約一億年前(古生代後期)に高圧低温 (溫度 およそ200度、圧力およそ600気圧) のもとで変成された紅康石と呼ばれ、特にこの大きさとなると現在では大変貴重なものとなっております。この奉納赤石は、徳蔵がその佇まいと石の持つ強い気に惹かれ、徳明園の造成当初にここに設置し、工事の安全と洞窟観音の繁盛を祈願したとのことです。 

❋ 德明道人

この碑の周辺の三体の石像は、晩年の徳蔵が楽山に依頼し制作された物です。向かって右端が、その時の徳蔵、その手前は、若かりし頃の徳蔵の姿です。そして左手にあるのはこれから三途の川を渡ろうとしている徳蔵です事業に成功を納め、洞窟観音の自力建設をも成し遂げた徳蔵が『人間万事屁の如し・・』と、石碑に刻みました。ユーモアと一抹の思いが込められた、云わば徳蔵の人生訓といえるでしょう

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山田徳蔵邸宅と庭園 🏞️
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山田徳蔵邸宅に展示室 🏡

徳明園へようこそ山徳記念館です。この建物は洞窟観音の創設者呉服商山田徳蔵の住まいだった所です洞窟の掘削に使われた道具や、建設当時の様子を知る写真、また観音像の作者彫刻師高橋楽山についての資料などを展示しています。

 

【進雄神社】
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進雄神社 一の鳥居 ⛩️
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進雄神社 ⛩️
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参道 ⛩️
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進雄神社 全景 ⛩️
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進雄神社 拝殿 ⛩️

❋ 御祭神    速須佐之男

❋ 御由緒    進雄神社は貞観十一年(869年)に各地で疫病が蔓延していた際、 時の清和天皇の語により尾州津島神社から神様をお招きして今の場所にお祀りしたのが始まりで、以来、健康・厄除をはじめ御神徳の篤いお社として崇敬されてまいりました。

源頼義公は天喜五年(1057年)に奥州へ向かわれる折には武運長久を願われ、凱旋にあたっては社殿の修造・神領の寄進をされました。

戦国時代の武田、上杉、北条などの武将たちの戦勝祈禱文書や社家の安堵状が今に伝えられ、篤く崇拝された様子がしのばれます。

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進雄神社 本殿 ⛩️
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天王稲荷神社 ⛩️
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天王稲荷神社 本殿 ⛩️
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社務所 ⛩️
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神社挙式 (和婚神前式) ができます 🎎
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【オマケ】
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微笑庵 手作り最中🥮
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奥さん、こういうの好きなんだよね❤️
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洞窟観音は凄い圧倒感と見応えでした、一人の人間が財を出して創り上げた事に感銘 ····· 👍

ここまで事をなす心の強さにも驚嘆、昔の人は本当に心が強い、私には到底無理な話しなだけに只只尊敬したいと思います 👍

今後も行けるものなら何度でも行きたいスポットの一つとなりました ····· 皆さんにもオススメしたいです 👍

山田徳蔵邸ど庭園を山徳記念館として公開していますが、こちらもとても素晴らしい景観で、季節の良い時に写真を撮るともっと映えるものが撮れたかなと感じてます 🏞️

日本には凄い人が本当にたくさんいるなと改めて 👍

1泊2日で "高崎市周辺観光" を終えて、惜しむらくは、たこ焼きべんてん • うどん屋まさかが休みだったことかな、また、チャンスはあると思うが少し引きずっています、再度行くしかないか ······ 😭

群馬県の観光地、温泉地をいつもは周っていたが今回、都市部を巡ってみて、見所があるし都市部ならではの楽しさもあって良かったです 👍

結論、やっぱり群馬は良い 👍

全6編に渡って紹介させて頂きましたブログにお付き合い下さいまして有り難うございます 🙏

 

◎ 1泊2日の高崎市周辺観光

* 1日目

道の駅 玉村宿・少林山 達磨寺・鼻高展望花の丘・微笑庵・からさき食堂・保渡田八幡塚古墳・APAHOTEL高崎・DELMUNDO

* 2日目

観音山エリア・高崎百衣大観音 慈眼院・ひびき橋・うどん屋 まさか・レストランShango・洞窟観音・進雄神社から帰宅まで

 

最後までご一読有り難うございます  m(__)m

 

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