皆さんこんにちは❗
前回ブログでは、訳あって埼玉へ日帰り旅行 "川越氷川神社" 編 !! を紹介しました (^-^)/
今回ブログでは、訳あって埼玉へ日帰り旅行 "川越大師 喜多院" 編 !! を紹介します (^-^)/
【川越大師 喜多院】
埼玉県の観光地で有名な小江戸川越から徒歩10分ほどの場所に喜多院はあります 🕯️
川越大師として多くの観光客に親しまれている有名なお寺です 🕯️
川越大師 喜多院 参道 🕯️
大黒堂 🕯️
第三番 大黒天
大黒天は古代インドの神様で、密教では大自在天の 化身、生産の神様です。くろ(黒)くなってまめ(魔滅) に働いて大黒天を拝むと、財宝糧食の大福利益が得ら れます 🕯️
川越大師 喜多院 案内図 🗺️
山門 🕯️
山門横のお手洗い 🚽
鐘楼門 🕯️
鐘楼門の裏側 🕯️
あずま屋 🏕️
多宝塔 🕯️
多宝塔はもと白山神社と日枝神社の間 にあった。明治四十五年道路新設のため移表されたが、昭和四十七年より復元のため解体 が行なわれて昭和五十年現在地に完成した。多宝塔 は本瓦葺の三間多宝塔て下層は方形、上層は円形 てその上に宝形造の屋根を葺きき、この亀腹によって上層と下層の外観が無理なく 結合されている。円形の上層に宝形造の屋根をのせ ているので組物は四手先を用いた複雑な架構となっ ているが、これも美事に調和している。
この多宝塔は慶長年間の木制木匠 明の著者が建てた貴重なる遺講で名塔に属しています 🏯
昭和五四年三月
多宝塔から見た慈恵堂 🕯️
水屋 🕯️
慈恵堂 (本堂) 🕯️
徳川家と関わりが深い喜多院は天台宗の寺院で、慈覚大師が830年(天長7)に創建したと言い伝えられています。
喜多院の住職として有名なのは、27世を務めた天海大僧正。川越のまちづくりにも尽力したと言われている天海は、江戸幕府初代将軍・徳川家康より絶大な信頼を得ていて、彼の顧問的存在でもあったそうです 🕯️
白・赤・黄・緑・紫の五色幕が鮮やかですね 🕯️
慈恵堂は、比叡山延暦寺第18代座主の慈恵大師良源を祀るお堂で大師堂(だいしどう)・潮音殿(ちょうおんでん)とも呼ばれています🕯️
潮音殿という名前は、昔、広くて静かなお堂の中で耳を澄ませていると、ザザザー、ザザザーという音が聞こえ、まるで潮の音のようなので付けられたとか 👍
お釈迦様の弟子で、十六羅漢の一人である、お賓頭盧尊者(おびんずるそんじゃ)が祀られています 🕯️
自分の体の痛いところや悪いところと同じ場所を撫でてお参りすると、良くなると言われています 🙏
慈恵堂 (本堂) から見た多宝塔 🕯️
徳川家光が江戸城内から移築した『客殿、書院、庫裏』等が残り、国の重要文化財となっています 🕯️
*五百羅漢見学は『客殿、書院、庫裏』とセットで、庫裏の受付で販売してます 🕯️
江戸城 紅葉山の別殿を移築した客殿では、三代将軍 徳川家光『誕生の間』、書院では春日局が使用していた『化粧の間』をご覧いただけます🕯️
*部屋内は写真撮影が禁止なので写真無しです 😭
客殿から望む『紅葉山庭園』は遠州流庭園で枯山水書院式平庭で爽快さと品位があります 🏞️
庭の説明
題曲水の庭
中心の離れ五石の石組は四方見となっており、流れは真 (激の瀬) 行 (出水) 草 (せせらぎ) に区分され背景は借景です。
植栽である五本松木は真、副、控、受、留の基本に従って植え込まれ、飛石は手前より大、中、小と織部打ちに遠近法が利用され、特に中心主木の赤松は能舞台の目附柱になぞらえ廊下辿りに松を眺めると後方の景色が移動する等、遠州流独特の手法が各所に取り入れられ関東好みの爽快さと品位が保たれている 🏞️
苦ぬき地蔵
慈恵堂の左手に苦ぬき地蔵があり『苦しみを抜き取ってくれる』と言われていて、沢山の方々がお参りしてました 🙏
慈眼堂
天海僧正は寛永二十年 (一六四三) 十月二日寛永寺において入寂し、慈眼大師の諡号をおくられた。そして 三年後の正保二年 (一六四五) には徳川家光の命によって御影堂が建てられ、厨子に入った天海僧正の木像 が安置されたのが、この慈眼堂である。一名開山堂ともよび、桁行三間 (五·四五m)、梁間三間で、背面一 間通庇付の単層宝形造、本瓦葺となっている。宝形造は、四方の隅拠が 一ヵ所に集まっている屋根のことで、 隅棟の会するところに露盤があり、 その上に宝珠が飾られている。
平成三年三月
埼玉県教育委員会
慈眼堂から見た慈恵堂 🕯️
松平大和守家廟所
松平大和守家は徳川家康の次男 結城秀康の五男 直基を藩祖とする御家門、越前家の家柄である。川越城主 としての在域は明和四年(一七六七) から慶応二年(一八六六)まで、七代百年にわたり、十七万石を領したが、 このうち川越で亡くなった五人の殿様の廟所である。北側に四基あるのは右から朝矩 (室凳院)・直恒(俊德院)・直温 (馨德院)・斉典 (興国院) の順で、南側に一基あるのが直侯 (建中院) となっている。いずれも巨大な五輪塔で、それぞれの頌德碑が建 ち、定紋入りの石扉をもった石門と 石垣がめぐらされてる。
平成五年三月
どろぼうばしの由来
昔、この橋は、一本の丸木橋であったといわれ、これ はその頃の話です。 ここ喜多院と東照宮の境内地は御神領で、江戸幕府の御朱印地でもあり、川越藩の町奉行では捕えることがで きないことを知っていた一人の盗賊が、町奉行の捕り方 に追われ、この橋から境内に逃げこんだ。しかし、盗賊 は寺男たちに捕えられ、寺僧に諭され悪いことがふりかかる恐しさを知った。盗賊は、厄除元三大師に心から罪 許してもらえるよう祈り、ようやく真人間に立直ることができた。そこで寺では幕府の寺社奉行にその処置を願い出たところ、無罪放免の許しが出た。その後、町方 の商家に奉公先を世話されると、全く悪事を働くことな くまじめに一生を過ごしたという。
この話は大師の無限の慈悲を物語る話として伝わって おり、それ以来、この橋を「どろぼうばし」というように なったということである。
昭和五十八年三月 埼玉県
喜多院復興の立役者・天海大僧正の像
徳川家と天海の交友は3代将軍家光まで続きました。天海が住職在任中の川越大火で喜多院がほぼ全焼した時も、家光公が復興に尽力したそうです 🕯️
830 (天長7年) 慈覚大師円仁が喜多院を創建時に、天台宗修験道の霊場である白山より、この守護神として白山の神仏の分霊を祀ったと伝えられています ⛩️
白山権現 (神社)
境内 みやげ屋 🍡🍘🍦🧈
五百羅漢 入口 🕯️
*五百羅漢見学は『客殿、書院、庫裏』とセットで、庫裏の受付での販売です。
単体販売、境内みやげ店での販売はしていませんので注意してください
拝観券は窓口前の箱に入れます 🕯️
山門の横の五百羅漢は、日本三大羅漢の一つに数えられ、さまざまな表情をした538体の羅漢さまが見れます 🕯️
【オマケ】
寿庵 喜多院店 🍤🍜
喜多院の参道に寿庵 喜多院店があります、今回はそこで昼食を取りました 🍜
時の鐘 (川越の名所) のオブジェがひときわ目を引くので、つい入りたくなる店構えです 🍱
次々と参拝者が食事に訪れる人気店です 👍
鰻の好きな私はうなせいろを頂きました 🍱
蕎麦好きの奥さんは抹茶蕎麦の割り子蕎麦 🍜
今回ブログでは、訳あって埼玉へ日帰り旅行 "川越大師 喜多院" 編 !! を紹介しました (^-^)/
10年前の川越観光の時に、この川越大師 喜多院に来たことがあったうえに、寿庵 喜多院店でも食事したことがあるらしい ???
覚えていません 😰
奥さんにボケが始まったかと言われてます 😰
やれやれ (^_^;)
次回ブログは、訳あって埼玉へ日帰り旅行 "大本山 成田山川越別院" 編 !! を紹介します (^-^)/
最後までご一読有り難うございます m(__)m