皆さんこんにちは❗
前回ブログでは墓参で佐渡へ 1泊2日 1日目 後編として、墓参 • 真野街道まつり • 昼御飯 • 佐和田海岸 • あめやの桟橋 • 弁慶のはさみ岩 • 相川温泉 いさりびの宿 道遊 宿泊までを紹介しました 🚐
今回ブログでは墓参で佐渡へ 1泊2日 2日目 前編として、相川温泉 いさりびの宿 道遊 • 国史跡 北沢浮遊選鉱場跡 • 佐渡奉行所跡までを紹介します 🚐
【相川温泉 いさりびの宿 道遊】
相川温泉 いさりびの宿 道遊
【朝御飯】
朝食の案内
❋ お米は朝も佐渡産有機栽培ササニシキを使用し、精米方法はビタミン・ミネラル・食物繊維が豊富な五分つきでした 🍚
❋ お味噌汁は、湧き水で昆布と煮干しのみで出汁をとり、高島農場さんの有機栽培の大豆と米・天日塩を原料に塚本糀屋さんと共同で作り上げた味噌を使用しています。
❋ 国産大豆100%と佐渡海洋深層水にがりで作られたお豆腐です。柔らかく、とても滑らかな仕上がりです。 春夏秋はやっこ、冬は湯豆腐で提供しております。
❋ 佐渡の郷土料理「いごねり」は、いご草という海藻を水だけで煮込み、冷やし固めた寒天状のものです。 食物繊維やミネラルが豊富なアルカリ食品なので、 美容・健康食品として親しまれています。
❋ 宮城野納豆製造所さんから納豆菌を仕入れ、 国産大豆100%で作られた大粒納豆です。
コーヒーはオーガニックで、砂糖は甜菜糖でした ☕
【国史跡 北沢浮遊選鉱場跡】
国史跡 北沢浮遊選鉱場跡
重量のある鉱石を原材料とする鉱業では、山の上から下に向かい作業工程が設定され、旧佐渡鉱山では、採掘場所の大立・高任地区から、鉱石選別のための高任・間ノ山地区、選鉱や製錬をする間ノ山北沢地区を経て、生産品を積み出す大間港まで、約3kmにわたる生産ラインが設定されました。
昭和に入り、戦争の影が色濃くなると、国策により金銀の大増産がはかられ、北沢地区では北沢浮遊選鉱場や50mシックナーが建造された。この結果、昭和15年には、年間の金生産量が1,537kgとなり佐渡鉱山における年間最高生産量を達成した。
鉱脈の枯渇と金価格の低下などによって平成元年に休山となった 💰
北沢地区施設群
昭和初期の増産体制のもと建設された主要施設とし て、東西約115m、南北約80mの規模を有する北沢浮遊選鉱場 🏗️
北沢地区工作工場群は、濁川を挟んだ北沢浮遊選鉱場の対岸に位置し、佐渡鉱山の各施設で使用する機械部品類の製造や修理のためにつくられた施設である。この場所には、明治20年代には、すでに選鉱・製錬施設のほかに、 器械製作場や鍛冶場などが設置されていた。さらに昭和10年代の大増産時代になると、木工工場や鋳造工場、仕上工場、製缶工場、分析所など複数棟の施設がつくられ、昭和27年まで稼動したが、 時間の経過とともに数多くの施設が撤去されていました。 平成20年、発掘調査がおこなわれ、当時の建物の基礎部分が残っていることが判明した。現在の広場は、昭和の大増産時代の建物配置に基づいたものです。
❋ シックナーは、昭和15年に完成した直径50mの泥鉱濃縮装置である。濁川上流にある間ノ山搗鉱場から排出された泥状の金銀を含んだ鉱石は、この装置で水分を分離する工程を経たのち、対岸へと送られた。対岸の北沢浮遊選鉱場では、他の金銀原料と一緒に処理されて精鉱が産出された。
❋ 鋳造工場は、木型工場で組まれた木型を基に作られた鋳型へ溶けた金属を流し込み、さまざまな種類の機械部品を製造する施設であった。鋳造工場や鍛造工場などで製造された機械部品は、仕上工場で最終的な加工作業が行われた。発掘調査によって、鋳造工場のコンクリート製の柱や巨大な地下穴、レンガ敷きの床面などが見つかった。また、鉄を溶かすためのキューポラ (溶銑炉)も残っており、当時の工場施設の規模がよくわかる貴重な構造物です。
北沢窯
有名人のサインの入った湯呑みが飾られてました 🍵
休憩所と今は開いてない体験学習室
相川技能伝承展示館
北沢地区は、明治期に入り佐渡鉱山の本部組織である御料局佐渡支庁が置かれて、佐渡鉱山全体の一大拠点となった。
佐渡奉行所跡の駐車場から見た北沢浮遊選鉱場跡全景 🏞️
【佐渡奉行所跡】
佐渡奉行所門
佐渡奉行所
当時は偉い人しか入れなかったらしい玄関から入りました、そこでスタッフの方が丁寧に説明をしてくれて、奉行所間取り図と撮影ポイントのファイルを渡されました 📷
撮影 • ブログ • SNSはご自由に、ただし動画 • YouTube • ライブ配信は事前に届出が必要です 📷
左上の写真はお奉行様と上級役人が会議をする大広間。
大広間でお奉行様気分になってる奥さん、単純なんで本当にその気になってます 😓
奥さんが白州で裁かれてます。まぁ〜有罪ですね 👍
発掘調査の時に敷地内から見つかった鉛板のレプリカが展示されていました、金銀の精錬作業の時に使用していた大切な物らしいです 💰
御陣屋跡地
御陣屋は御役所の奥に位置し、佐渡奉行の居宅として使われた建物です。
御陣屋は奉行が仕事をする御役所と直接つながっており、奉行が行き来することができました。
休憩所 🍵
❋ 御物見は江戸時代後期の天保年間(1830~43)に建てられ、佐渡奉行となった川路聖謨は日記で善知鳥神社の祭礼をここで従者たちと見物したと書いています。
❋ 井戸の側面は石を積んだ構造で、一番上に凝灰岩のどっしりとした井戸枠があります。 この井戸は、御金蔵役所や広間役長屋に近く、役人の飲料水や煮炊きに使用され、時には奉行所を訪れた庶民の足を洗うことにも利用されたといわれています。
❋ 穴蔵は火災などの緊急時に使用された地下倉庫でした。じめじめと湿度が高く、時には水が溜まる地下の蔵は、日常の収蔵庫には適しません、しかし、火災ともなると、大切な品物をすぐさま収納して、焼失を防ぐ重要施設として使用されていたようです。数多くの大火に見舞われてきた奉行所ならではの興味深い蔵といえます。
【勝場展示室】
勝場
勝場は採掘した鉱石を細かく砕いて、金や銀を精錬する工場です。ここでは、これらの作業を一箇所に集めたので「寄勝場」と呼ばれていました。
佐渡では金や銀を管理するために、宝暦 9年(1759年)から、奉行所の敷地内に勝場が設けられました。
勝場展示室
金銀を含んだ鉱石を選別する施設を復原 💰
❋ 佐渡金銀山ものがたり
1 金銀山の発見
2奉行所と町の広がり
3大火と大洪水
2 金銀山の再興と南沢疎水道
3 町の中心は海辺へ 佐渡鉱山の近代化
4 金銀山の再興と南沢疎水道
5 町の中心は海辺へ
6 佐渡鉱山の近代化
7 奉行所の変遷
9 発掘調査の遺構と遺物
❋ 絵巻物にみる勝場の工程 ー1
❋ 絵巻物にみる勝場の工程 ー2
❋ 絵巻物にみる勝場の工程 ー3
❋ 鉱石から小判になるまで
❋ 精錬遺構
【オマケ】
佐渡 朱鷺のたまご 🥚
ホワイトチョコレート饅頭 🍫
佐渡バタークリームサンドクッキー 🍪
いさり火の宿 道遊、久しぶりにこだわりにこだわったお宿に泊まることになりました、
アットホームな雰囲気で対応してくれたはよくある話し。地産地消これもよくある話し、では何がこだわりかというと、お米がほぼ玄米に近い5分つき、自然農法に近い厳選された野菜、放し飼いされたノーストレスの鶏卵、料理 • 飲水には天然の湧水、コーヒーもオーガニック、そしてお風呂場ではよもぎを使ったオーガニック石鹸が置いてありました。
ここまで健康志向のお宿は久しぶりだな、前は秋田のどこだったかな思い出せん ??
前回来た時に佐渡金山は観光したので、今回はその繋がりから北沢浮遊選鉱場跡へ、壮大で近代的な施設があったことが簡単に理解できました 🏗️
当時の人は凄いね 💪
当時といえば、佐渡奉行所跡も佐渡というある意味、僻地の島の奉行所なのにこれだけ大きく存在していたこと、勝場が奉行所敷地内にあり佐渡金山で採れた金をガッチリと奉行所が管理していたことを見ると、ここがいかに重要な拠点であったかを解らせてくれます 👍
今回の旅行でも当時の偉大な先人達が、今の豊かな日本を創造したのだなと実感させてもらいました 😱
私は何もできないので、変わりに、これからも日本中の先人達の偉業を観光して行けたらなと思います 👍
さあ横浜へ帰りましょう 🚗
次回ブログでは墓参で佐渡へ 1泊2日 2日目 後編として、へんじんもっこ • 両津港シータウン佐渡 • 佐渡汽船フェリー乗船 • 新潟港 佐渡汽船フェリーターミナル • 越後川口SAによって帰宅までを紹介します 🚐
最後までご一読ありがとうございます m(_ _)m